筋トレを継続するということは、常にモチベーションの波と戦い、厳しいローテーションを自分自身に課し続けることでもあります。
人間、どうしても楽をしたくなりますし、面倒になります。
「自分はなぜ、こんな狭い納戸で、孤独に鉄の塊を持ち上げているのか?」
ふと、そう自問する瞬間があります。
今さらこんな苦しいことをしなくたっていい。酒を飲んでテレビを見てゴロゴロしていたって、誰にも文句は言われない年齢なのですから。
しかし、そう自問自答している時点で、あなたはもう「こちら側」の人間です。
これは、何度も挫折を経験した私が、それでも筋トレを続けるために守ると決めた、心の中の静かなルールについてのお話です。
目次
70代向け筋トレの基準とは何か
そもそも60代、70代になって、本気で筋トレをやろうと考え、自宅にインクラインベンチやダンベルを揃える人間の割合など、世間から見ればごく僅かでしょう。
ネットやテレビを見てください。「高齢者向け」と称して推奨されるのは、決まってこんな運動です。
- ペットボトルを両手に持って、ゆっくり10回上げ下げする
- 膝をついて行う、浅い腕立て伏せ
- 椅子の背もたれに掴まって行うスクワット
それはそれでいいのです。
確かに、世の中には「孫とジャングルジムで遊ぶために体力を維持したい」「寝たきりにならないようにしたい」という目的の人もいます。
それは個人の自由です。そういう人たちは、怪我をしないように、明日のための余力を残して「省エネ」で長く生きようとしているのでしょう。
しかし、私は違います。
明日の余力を残さない。「野生動物」の思考
「明日に余力を残さず、今日のエネルギーは今日使い切る」
これが私のモットーです。
年齢を言い訳にして、自分に負荷をかけることを放棄した瞬間、老化は加速度的に進行します。
「いい歳をして無理をするな」という他人の言葉に同調し、何もやらずに衰えを受け入れれば、そこで男としての人生は終わります。
自分がやりたいことを続けるために、そして新しいことを始めるために、容赦なく体を鍛える。
野生動物は、自分の年齢など考えません。
今できることを、ただ全力でやる。明日のことなど計算しない。
私も常に、そうありたいと思っています。
服の下の「貧相な肉体」は隠せない
街には「ちょいワル」気取りの同世代もいます。
サングラスをして、流行りの黒いスリムパンツを履き、高価な革ジャンを着込む。
しかし、その服の下にある体が、丸まって垂れ下がった貧相なものだったら?
それはただ「服に着られている」だけで、全く似合っていません。残酷なまでに滑稽です。
「俺は年齢など気にしていない」と口でキバって見せても、ヨレヨレのシルエットでは何の説得力もないのです。
見た目の品格は、ブランド品ではなく「筋肉」で決まります。
タキシードとお姫様抱っこのための「密かな矜持」
私がこれだけハードな筋トレをしていることは、おそらく周囲の誰も知りませんし、自らひけらかすつもりもありません。
頑張っている姿を人に見せる必要はないのです。
筋トレをやり抜いた結果は、背筋の伸びた立ち姿として自然に表に出ます。それだけで十分。
全ては、自分が満足すればいいのです。
私は今、小柄な女性だったら、いつでも「お姫様抱っこ」をする用意があります。
そして、いつでも「タキシード」が似合う男であるつもりです。
おそらく、この先の人生で実際にそれをやる機会はないでしょう。
しかし「いつでもそれができる体を維持している」ということ自体が、大人の男としての、
私の密かな矜持なのです。
▼ 71歳の私がたどり着いた「筋トレ継続の心得」シリーズ
- 心得その1|「スケジュールの借金」は絶対に作らない
- 心得その2|ジムは辞めろ。「納戸ジム」こそが最強の解決策
- 心得その3|停滞期は「押し目」。体脂肪率が減らない時の処方箋
- 心得その4|タキシードとお姫様抱っこ。明日の余力を残さない美学
- 心得その5|立ちはだかる「正月の壁」をどう受け流すか
- 心得その6|筋トレを休む勇気。大人の「戦略的撤退」の判断基準
▼ この心得で変わりました

