都々逸は江戸庶民の粋な文化|現代にも通じる洒落た言葉遊び

2020年3月30日

江戸時代の文化は世界でも稀な庶民の文化だった

都々逸は江戸時代に流行った、七・七・七・五の旋律を三味線の伴奏に合わせて歌う、庶民の洒落た言葉遊びです。

主に男女の恋の機微を題材にした歌が多く、その感覚はで現代でも全く古さを感じません。

江戸時代と現代、科学技術の進歩によって環境や生活は随分と変わりましたが、人情は変わっていないのですね。

ただの古くさいやつだと思われそうで、都々逸の話は人にしたことはありません。

音律はよく知りませんし、あまり興味もないのですが、歌詞が楽しく、いつも一人でニヤニヤしながら読み返して楽しんでいます。

その中から私のお気に入りを幾つか。

「惚れて通えば千里も一里、逢わで帰れば、また千里」
若い頃、総武線乗って市川から高円寺まで毎日通いました。彼女に会えるかどうかも分からなかったのに。会えなかった時の徒労感は言葉につくせません。携帯電話など SF小説の時代でした。

「うちの亭主と炬燵の柱、なくてはならぬがあって邪魔」
恋愛関係が過去の遺物となった後の、最も普遍的な夫婦関係ですね。男性の存在感が日増しに希薄になり、これが進むと亭主在宅症候群に移行します。

「重いからだを身にひきうけて、抜くに抜かれぬ腕枕」
いちばん好きな歌です。好きな彼女に腕枕は男としての至高の喜びですが、苦痛を感じ始めてから後どのくらい耐えられるか、まさに試練の時です。

「すねてかたよる布団のはずれ、惚れた方から機嫌とる」
最初は喧嘩をするとこんな感じでした。できる限りは我慢します。彼女の方から来てくれると男のしてのプライドが保てるのですが、だいたい自分から手を出してしまいました。

「一人でさしたる唐傘なれば、片袖濡れよう筈がない」
これは恋愛の初期段階に見られる”献身”という喜びの一つで、私の場合はしもべのように傘を差し出していました。彼女が濡れることは、何があろうと、決してありませんでした。

「惚れた数から、振られた数を、引けば女房が、残るだけ
そう思いたくはないのですが、結局はそうだったのかもしれません。

一概には言えませんが、他国の文化は貴族や上流階級のための文化でした。しかし日本の文化は庶民の生活の中から生まれたもので、世界に誇れる遺産です。

都々逸は他にも数限りなくあります。興味のある方はぜひ。

都々逸は正に庶民の文化です


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Posted by Redvest