今になって、なぜ肉体改造などやっているのか。ふと、自分自身に問いかけることがあります。
答えは一つ。私にとって、それが「全力で生きる」ために不可欠な手段だからです。毎日使えるエネルギーを、最後の一滴まで使い切ること。そのために、私はこの肉体を鍛え直しています。
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「上げ底の徳利」というのは自分が一番分かっている
確かに、若い頃に比べれば体力も気力も明らかに落ちています。今の自分は、フル充電しても7割ほどしか容量のない、弱ったバッテリーのようです。電圧は不安定で、電力の消費も早い。
どうでもいいことで一気に消耗してしまいます。
良心的でない居酒屋の徳利(とっくり)のようなもので、上げ底状態で、見た目ほど中身は入っていません。
しかし、そんなことはいいのです。残された量が少ないからこそ、それを有意義に使い切る。
崩れゆく橋を、後ろを向かずに走る
体力が衰えれば、気力も萎えていきます。
だからこそ、私は体を鍛え直すことを選びました。人間は、いくつになっても自分自身の意志で変わることができる。それを証明するために。
人生は、戻ることも立ち止まることもできない。どこに行き着くのかも分からない。
渡るそばから後ろから崩れていく橋の上を、必死に走っているようなものです。後ろを振り返る暇などありません。
ただ、渡り切れることを切望しながら、前だけを見据えて走り続けています。
ぶち当たって砕け散るのも、また一興
体調が優れなくても、思うようにお金がなくても、下を向かずに心を奮い立たせ、残りの人生をアクセル全開で走り抜けましょう。
省エネ走行では決して得られない「何か」を得るために。
行き着く先は、みな同じかもしれません。しかし、その道順も進み方も、自分の意志で選ぶことができます。
そうすれば、目にする景色も、出会う何かも、昨日までとは違うものに変わるはずです。
全力で走り、どこかにぶち当たって砕け散る。それもまた、一興ではありませんか。
それでも楽しいですね、人生は。

