まだまだ行けるぞ 70代

服は「筋肉」で着るもの。スタイル画の授業で学んだ、オシャレの絶対基準

ファッションは筋肉だ

若い頃、私はスタイル画の学校に通っていました。
スタイル画とは、ファッションデザイン画のように、服を美しく着こなした人物を描くための技法です。

そこで最初に叩き込まれるのは、意外にも「服のデザイン」ではありません。
人体の筋肉構成です。

当然、ヌードデッサンも行います。
それは決して特別なことではなく、人体の構造と、ポーズによる筋肉の連動を理解するために欠かせない基礎訓練でした。

デッサンをする時、視線は常にモデル全体に向けます。
一部を凝視するのはマナー違反。
全体のバランス、重心、筋肉の緊張と弛緩を見るためです。

そして、オシャレに服をまとった人物を描く段階になると、私たちは「衣服の下にある筋肉」を頭の中でイメージし、その上に布を重ねていくのです。

服は「筋肉の上に」描かれる

スタイル画において、衣服の下には常に「理想化された人体」が存在します。
服の美しいドレープ(ひだ)やラインは、すべて筋肉と骨格によって形作られるものだからです。

どれほど高価なブランド服でも、その下にある体が貧弱であれば、シルエットは決まりません。

私は今の若い世代のファッションを否定したいわけではありません。
流行は時代ごとに変わりますし、それ自体は自然なことです。

ただ、ひとつだけ変わらない事実があります。

オシャレの本質は、着飾ることではなく「着こなすこと」。

そして「着こなす力」は、衣服の下にある体――つまりボディの完成度によって決まります。

彫刻が教えてくれる「不変の基準」

若い頃、木炭で手が真っ黒になるまで、アグリッパやヴィーナスの石膏像と睨み合う日々を過ごしました。
そこで骨の髄まで理解させられたのは、彼らが本質的には「布をまとった肉体」だということです。

どれほど装飾が少なくても、人体そのものが完成されていれば、美は成立します。
流行は移ろいますが、均整の取れた体が持つ説得力は、時代を超えます。
それは男女を問いません。

私にとっての「ファッションとしての筋トレ」

私が71歳になっても筋トレをしている理由は、単なる健康維持だけではありません。
「体を、服を着るための土台として整えること」
それが私にとってのボディメイキングです。

  • どんな服にも負けない肩幅
  • 袖口から出たときに貧相に見えない腕
  • 小顔に見せるための首の厚み
  • 脚を長く見せるために、太腿の上部にボリュームを持たせ、膝上は締める
  • 体の前後に厚みを出すための胸と背中

これらはすべて、「裸を見せるための筋肉」ではありません。
服を着た時に、自然に美しさが伝わるための筋肉です。

デッサンのように途中経過を確認しながら、負荷を調整する。
削るべきところは削り、盛るべきところだけを作る。

それが、私の考える「体を作るための筋トレ」です。

体ができれば、服は静かに語り始める

多くを語らなくてもいい。
筋肉を誇示する必要もない。

服を着た時の立ち姿、歩いた時の重心、横から見たシルエット。
それだけで十分です。

オシャレとは、体が静かに語るもの。
そのために今日も、私はダンベルを持ち、自分自身をデッサンするように鍛え続けます。