昔から卒業式で歌われてきた歌に『仰げば尊し』があります。
この歌を聴くと、私はいつも卒業式ではなく、ある映画の一場面を思い出します。伊丹十三監督の映画『タンポポ』のワンシーンです。
私は高校生の頃から伊丹十三の文章や映画が好きで、気がつけばその考え方や感性は、いつの間にか自分の中に深く染み込んでいました。
『タンポポ』の中で、訳あってホームレスとして暮らしている元大学教授のもとに、ラーメン店を開く主人公が教えを乞いに訪れます。
説得の末、教授は主人公の店に住み込みでラーメン作りを指導することになり、しばし仲間たちと別れることになります。
貧しさと豊かさの境界はどこにあるのか
教授との別れを前に、ホームレス達はささやかな、しかし特別な宴を催します。
その宴のために集められたのは、早朝の銀座の高級レストラン街から拾い集めた、まだ手のつけられていない料理や、栓を抜かれただけで捨てられた高級ワインの数々でした。
その夜、焚き火を囲みながら始まった宴では、それぞれが料理やワインにまつわる薀蓄を語り合い、嫌味のない知的な会話で場は満たされていきます。
そして別れの時。焚き火を背にして並んだ彼らは、見事なハーモニーで『仰げば尊し』を歌い、教授を送り出します。
その場面で、教授は静かにこう言います。
「彼らは、深く生きているんですよ……」
この一言が、どうしても忘れられません。
豊かとは何か。貧しさとは何か。たくさん持つことが幸せなのか、何も持たないことが不幸なのか。その境界線は、思っているほど単純ではないのかもしれません。
焚き火の前で歌われた『仰げば尊し』は、私の中ではもう、卒業式の歌ではなく、「深く生きる人たちの歌」になっています。
映画って、本当に面白いですね。

